まず最初に言いたいのは、私はとてもPCやiPhoneの作業には弱い事だ。いまさっき長々と書き上げた文章を保存したと出た後、自動でページが更新された後、真っ白なページの目の当たりにした私は落ち込む事はなけれど一旦休憩をとることにした。お気に入りのNespressoマシンを起動させとりあえず苦めのコーヒーを入れて1時間ほどで復活した。まず復活したところで何を書いていたのか、すっかり忘れてしまった私はひとつ、思い出したのだ。それは「運命の人」について。
このホームページを作って思った事を永遠と書きなぐる、たまに自分自身についても。わたしはまだ21歳だ。これを見た大人はこんな誰でも観れるネットの世界で責任もなしにただただ思った事を書きなぐる事はダメな事だ、と批判を受けるかもしれない。でもわたしは思ったことを忘れたくなくてパソコンのメモに書きためるだけなんて寂しいだけじゃないか。わたしが21歳と年齢を明かすのは、大人から見た私たちの世代の事や同い年から見た批評や意見、わたし自身の思いや価値観について伝える事でその思いをいろんな人に見てもらいたいのだ。わたし自身も自分の恋愛観や「なにか」についての意見をだれかに伝える事はすこし恥ずかしいと感じる事もある。そんな事言ってだれにも見てもらえないかもしれない。でもだれかに見てもらいたいから書くのではなく自分のため、それが一番の最優先だ。
「運命の人」について、私の運命の人の定義はお友達でも知り合いでも恋人でも「縁」が長い人が運命の相手の候補となるのではないか。そもそも運命の人って一人なの?恋人とうまくいかなくて何回も何回も喧嘩しても仲が戻る事って、良い風に考えると運命の人じゃないの?と、思えちゃう。実際そんな人いくらでもいるし、また仲が戻ったの?あの人と、なんて言われる事が多いと思いますが一度は冷めた恋がお互いがまた求めあってるって奇跡なんじゃないかと思ってしまう。「運命の人」の定義はみんな自分とは相性がなにもかも完璧だと思ってる人がほとんどだと思う。セックスの相性が悪いだけでこの人は運命の人じゃないって思ってしまう人もいるよね。でも私はそうは思わない、なぜなら私の運命の彼はだれがどう見てもキスが下手なのだから。そんなキスでも愛おしく感じてしまうのだ。私は今2年過ぎたくらいの恋人と距離を置いている。周りからしたら二人とも時間があるのに会いたければ会えば良いのになぜ会えないのか、理解できない、というような批評の言葉をよくもらう。でもこれから一生を共にするとお互いが考えあっているからこそ、一生を共にする為の準備をしたいのだ。アツアツにのぼりつめてする結婚や同棲なんて幸せだなぁとおもいます。ですが私も彼もきっと死ぬまでのことを考えて一生を共にできるのであれば、その準備を今は少し離れて使用ではないかと・・・「わたしたち」になるまでの「あなたとわたし」はいましかないのだから。
ですがやはり「わたしたち」になっても自分自信をもちぶれない生き方をするのが上手くいくコツだと思います。けっして「わたしたち」になっても彼に寄り添う事と彼の為に自分を犠牲にすることは違うんですから。彼の為なら犠牲になってもいいという考え方をもってしまったらお互いのバランスはすぐにくずれます。もともとの他人と一緒にいる為には「彼の為に自分を犠牲にする」のではなくそんな思いをしないように自分の心を犠牲にしてください。彼の為に犠牲にするって自分がしたいからしてるだけなのに何が犠牲になるだよ、と思います。
運命の人は人それぞれあるけど、周りの意見に流されてはダメだなんていうけど良いことはいいんだし悪いことでも悪いことを受け止めても自分で見極めて受け流すくらいのスキルを上げることが生きていく為に必要だよね。